ヴェラのさつ★ばつ日記帳

ゆるりと気ままに殺伐ライフ

長崎旅行をしたお話

お久しぶりです。

すごい久々の更新。

 

3/4~3/6の二泊三日で去年京都旅行に行ったメンツで長崎に旅行に行きました。

去年は友達が縁切り神社に行く目的があったので京都だったのですが、今回は明確な目的がないのでどこに旅行に行くかという話になりました。

 

自分は九州に行ったことがなく、昔から九州に行ってみたいという強い憧れがあったので友達に長崎を劇推しして長崎に行くことになった形ですね。

正直今回の旅行は行く前からかなり楽しみでした。

九州行ってみたいとずっと思ってはいたけどなかなか行くタイミングもなかったので。

 

九州の中でも長崎を劇推しした理由は池島に行きたいという明確な目的があったからです。

 

各自行きたい場所を決めてそれをまとめて決定。

そして長崎に到着。

飛行機なんてイタリア行った時ぶりに乗りました。

電車や新幹線と違って荷物検査あるのがめんどくさいんですよね飛行機。

液体物に制限があったり靴や上着脱がなきゃいけなかったりね。

久々すぎてかなり手間取った。

 

とまぁ色々手間取りつつ2時間程度で着きました。

空港の付近のレンタカーで車を借りて昼飯を食べて行動開始。

1日目最初の目的地は島原市新町にある「湧水庭園 四明荘」

四明荘は四方の眺望に優れていることから名付けられたそうです。

平成20年7月28日に国の登録記念物、平成26年4月25日に国の登録有形文化財となっている場所です。

京都もそうだったけどこういうTHE 和って感じの場所大好きなんですよね。

座敷は正面と左側の二面が池に張り出していて、屋敷から庭園を見渡すことができます。

案内人の人からお茶を頂きしばらく休憩。

他の観光客はいなく、自分達だけでした。

めちゃくちゃ心が洗われるような清々しさを体験できて良かったです。

次の目的地は雲仙市瑞穂町にある岩戸神社。

神社巡りが割と好きな自分としてはここは行ってみたい場所でした。

樹齢300年を超える巨木に囲まれ、うっそうとした緑に包まれた岩戸神社は古くから「岩戸さん」の愛称で地元の人たちから親しまれている神社だそうです。

御神体がある最奥までは坂を上がり少し急な階段などを上がっていきます。

この感じは京都の神社巡りを思い出した。

あの時もそうだったけどこういう道にブーツで来るのは向いてないのでやめたほうがいいです。

今回も後悔しました。

歴史はまた繰り返す。

最奥の御神体がある場所はこうなっています。

本殿の西側には岩間から雫が落ちる滝つぼがあり、雲仙を流れる清流として知られる西郷川の基点となっているそうです。

滝つぼの奥にも洞穴が二つあり、水の神と山の神がそれぞれに祠が建てられ祀られています。

1日目はこの四明荘と岩戸神社を観光して長崎駅付近の中心地に戻りました。

車で片道1時間半くらいかかったので初日は午後に行動開始したのもあってこんなもんですね。

ホテルでチェックインを済まして夕飯の前にホテルから徒歩で20分弱、本日最後の観光地。稲佐山展望台へ。

夜景が綺麗ってことで行ってみたいと思ってた場所なんですが、後から調べてわかったんですけどこの稲佐山から見える景色、世界新三大夜景に選ばれた場所なんですね。

正直納得でした。

今まで見てきた夜景の中で1番綺麗だったので文句なしです。

標高333メートルの山頂にある展望台にはロープウェイを使って行きました。

このロープウェイのスピードが結構エグかったです。

360度見渡せる展望台からは長崎港、対岸に広がる外国人居留地跡、ビルが建ち並ぶ市街地、海と山に囲まれた長崎の風光明美な風景を眺望できます。

池島に行くという目的を抜きにしても自分的にはここだけで長崎に来て良かったと思えました。

貴船神社といい夜に行く観光地のプラン計画は我ながらセンスの良さを感じずにはいられない。(突然の自画自賛

 

夕飯は居酒屋で刺身の盛り合わせ食べたり貝類食べたり。

焼いてる貝から吹っ飛んでくる熱湯が全部自分に来てクソ怖かった。

身内ネタにはなるけどここでは悲しい事件が起きました。

まぁそのおかげでクソ腹いっぱいで〆のシラス丼を完食するのが無理だと思ってたけど食べきることが出来たので感謝しています。

 

こうして1日目は終了。

 

2日目は9時から行動開始、最初の観光地は東山手町にあるオランダ坂

江戸時代日本で唯一貿易が行なわれていた長崎では、出島に住むオランダ人の影響か開国後も東洋人以外の人を「オランダさん」と呼んでいたそうです。

そのため当時「オランダさんが通る坂」という意味で外国人居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えれているとか。

洋風住宅が立ち並び異国情緒あふれる東山手地区にある石畳の坂です。

 

そのまま坂繋がりで次の観光地、ドンドン坂へ。

ここは来たかった場所の1つでもありました。

なにで知ったかは忘れたけどここの景色は昔から写真で見たことあったんですよね。

こういう雰囲気のある道大好き。

この2日目は重要な目的があったんですよね。

最初に話した池島に行くという目的です。

しかし池島に行くにはフェリーを使わなければいけないのですが、そのフェリーが出る便の時間が決まっていて更に少ないので遅れるわけにはいきませんでした。

本当は長崎原爆資料館にも寄る予定だったのですが瀬戸港から出る12時44分のフェリーに確実に乗らなければいけなかったので急遽予定を変更して瀬戸港へ直行。

 

12時5分に瀬戸港付近に到着。

12時10分、近くのお食事処「魚宋」で昼食。

牛とじ丼めちゃくちゃ美味しかった。

お店の人にごちそうさまでしたとしっかり伝え昼食を済ましフェリーの営業所で池島行きのチケットを購入。

 

フェリーにGO。

最初の計画だとフェリーに乗って池島は歩いて散策する予定だったのですが、友達2人がフェリーに車積んで車移動でいいんじゃないと言うのでフェリーにレンタカーぶち込んでる写真。

フェリーに車乗せても3000円弱なので3人で割れば安いんですよね。

瀬戸港から池島まではだいたい30分くらいです。

船なんて子供の頃に乗ったときぶりなので船酔いしないか心配でした。

フェリーはそこまで揺れないと聞いていたのに結構揺れがエグかったです。

酔い止め飲んでなかったらきつかったかも。

 

友達の1人は揺れの船酔いで死んでました。

もう1人はピンピンしててはしゃいでました。

僕はどちらでもなく普通でした。

うーん、この差よ。

 

そんなこんなで念願の池島到着。

長崎市の「池島」は、世界遺産軍艦島端島)と並んで、長崎県のもう一つの主要な炭鉱の島として知られています。

池島は西彼杵半島の西側沖合約7キロメートルの所にあり周囲は約4キロメートル。

海底に埋蔵された石炭を採掘するために開発された所です。

1952年に炭鉱の開発が開始され、1959年から石炭の産出が始まりました。

ところがその後世界的な電化に伴い石炭の需要が減ったため、2001年に閉山となりました。

住宅など廃墟となった建物もたくさんありますが、閉山後、無人になった軍艦島と違って、今でも100人ほどの人が住んでいます。

池島には最盛期(1970年)、約7800人の人が住んでいたそうです。

島には高層アパートや病院、娯楽施設などが次々に建てられ、にぎわいをみせました。

しかし、次第に安い海外炭や新しいエネルギー源である石油に押され、池島炭鉱の活動は次第に陰りを見せます。

そして2001年、九州最後の炭鉱となった池島炭鉱は閉山となり、島からは人がどんどん離れていったそうです。

今では廃墟の場所として有名な池島ですが、実際に足を運びこの目で島を見ると、来れた感動と限界集落となっている池島の現状、交番もスーパーもないこの島に今でも住んでいる人々の背景などが相まって感情が迷子になりました。

車で池島全体を散策していると、小さな営業所に電気がついていたり、廃墟と化している団地のゴミ置き場に1つだけゴミ袋があったりなど、人がいる痕跡があり本当にこの島に住んでいるんだなとしみじみ思いました。

 

旅行の前に池島について詳しく調べていたのですが、かつては食堂や、酒場、スナックや小売りセンターなどもあったようです。

次々と閉店していっていく案内を見るたびに、限界集落の難しさを感じました。

1974年に閉山した軍艦島無人島となったように、ここもやがては無人の島となっていくのだろうか?と思うと共に、田舎でなくとも少子化で人口が減少していけばやがてどこもこうなっていくのだろうかと感じるインパクトがありました。

 

廃墟やそういった場所が好きで実際に池島に行ってみたいとずっと思い、今回叶いましたが、行けて本当に良かったです。

 

池島を散策して14時30分頃に池島を離島。

当初は徒歩で散策する予定だったので17時頃の離島を予定していたのですが、車で回れたので時間に余裕が出来ました。

これによって午前中に行けなかった長崎原爆資料館に向かうことに。

16時30分頃、到着。

ここは友達が行きたいと言った場所でした。

被爆の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史、平和希求などストーリー性のある展示を行っている場所となっています。

映像資料などを利用したわかりやすい解説もあり、当時の悲惨さと歴史をわかりやすく知ることができました。

ホテルに戻る前に途中にある一本柱鳥居を見に行くことに。

この一本柱鳥居は山王神社の参道にあり、もともと鳥居は4つありましたが被爆によりその2つが強烈な爆風と共に倒壊し、残った鳥居の1つは戦国、交通事故により撤去されたため現在も当時の姿のままで立っているのは右半分の柱だけを残した一本柱鳥居だけとなったそうです。

被爆時に吹き飛ばされた左半分の残骸も保存されていて見ることができます。

原爆資料館でもこの一本柱鳥居の経緯は説明であったので、ここに行く前に友達に一本柱鳥居って当時の名残りがある場所だったんだねって言ったら2人にそうなの!?って言われました。

お前らはついさっき行った原爆資料館でなにを見ていたんだ…?

 

2日目の観光はここで終了。

18時にホテルに戻り、30分休憩してから夕飯に行くことに。

この休憩時もそうでしたが、瀬戸港から長崎原爆資料館に行くまでの1時間半くらいの移動も酔い止めの副作用で爆睡してました。

副作用で眠くなるのはわかってたけど想像以上でした。

あれはもはや睡眠薬

 

そんでホテルから20分くらい歩いて長崎新地中華街へ。

炒飯、八宝菜、唐揚げ、水餃子、ピータンなど色々食べました。

普段少食なので普通の人より食べる量かなり少ないんですが、この日は自分でも驚くほど食べた。

普段の2倍は食べてた気がする。

しかも夕飯食べ終わってホテルに戻る途中にクソ腹いっぱいなのにコンビニでモンブランとクソでかプリンまで買いました。(これがデブか)

無性に甘いもの食べたい気分だったんですよね。

甘いものは別腹なので。

ホテルに帰る途中に眼鏡橋に寄ったので写真を撮りました。

 

これで2日目は終了。

 

 

3日目は九十九島観光。

まずは船越展望台へ。

九十九島を見ることができる展望台はいくつかあるらしいですね。

展望台だけあって景色が圧巻でした。

どうでもいいんだけど九十九島って九十九(つくも)島だと思ってたんですよね。

実際は九十九(くじゅうく)島って読むらしいです。

これだから漢字は難しいんだ…。

これは友達に撮ってもらった僕。
本当は池島で写真撮ってもらいたかったんですが雨ヤバすぎたんですよね。

傘持って写りたくないしなにより面倒だったので断念した。

 

どうでもいいんだけど展望台はトイレないから注意してね。

友達がトイレ行きたいって発狂してたけど残念ながら展望台にトイレはないんだなこれが。

 

そして次の目的地はここ。

九十九島水族館 海きらら。

その前に水族館の前にある飲食店街で昼飯。

長崎来たならちゃんと食べとかないとね、長崎ちゃんぽん。

長崎ちゃんぽんなんてそこら辺に売ってるインスタントのしか食べたことなかったから本場のちゃんぽんはめちゃくちゃ美味しかった。

 

昼食を済ましたら水族館へ。

まぁ特に言うことはないんですが、1つだけ驚いたことがありました。

最初は上から餌でも貰って食ってるんだと思ってた水族館にいたカメ、普通に一緒のでかい水槽に入れられている魚を食ってたんですよね。

しかもこのカメ、僕たちが移動しても食いながら付いてきて見せびらかしてくるんですよね。

こんなんズルいやろ。

そこまで水族館をたくさん回ったことないから一概には言えないけど、今まで行った水族館の中で1番展覧ルートがわかりずらかった。

だいたいは1本道になってるんだけど階段使うと他の展示フロアに近道できるらしくそれが逆にややこしかった。

個人的にはクラゲのコーナーが1番綺麗で迫力ありました。

写真映えもここが1番だったと思う。

魚食ってるカメにインパクト全部持ってかれたけど。

 

水族館を回り終わり、帰り道の途中にある船越展望台とは別の展望台、石岳展望台へ。

こっちは船越展望台よりも更に高い位置から九十九島全体を眺めることができます。

こうして長崎の旅行は幕を閉じました。

 

今回の遠出の旅行で思ったのは、やはり京都が観光地回りとして最適すぎたということですね。

1つ1つの観光地に行くのに距離があるので観光ルートを計画するのに時間がかかり難しかったです。

天候次第でフェリーの欠航もあり得たのでそれも加味しないといけなかったりと考えることが多かった。

もう1つが足ですね。

去年の京都観光も電車・バスは使わずレンタカーでの移動で今回もレンタカーでの移動でした。

友達2人は仕事で車使うので運転できるのですが僕は免許取ってから1度も運転してないしなんなら免許返納したんで運転できません。

旅行中に5万回は多分運転しろって言われた気がします。

ドライブハラスメントです。

ドラハラです。

泣いちゃった!

 

次の旅行は電車バス移動も視野だと僕だけ思いました。

 

人生でずっと1度は行きたいと思っていた九州、そして長崎。

来れて本当に良かったです、とても大きな経験にもなったし楽しかったです。